このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2005年08月26日
セマンティックWebの可能性
マーケティングユニット 棚橋
セマンティックWebとは、コンテンツの内容に関する情報をメタデータとして、Webページ(HTML)に持たせることで、コンピュータがその内容を意味的に(セマンティックに)理解できるようにし、情報を自動的に処理できるようにする技術を指します。
セマンティックWebの実現により、精度の高い検索が可能になり、ユーザーがWeb上の情報をより有効に利用できるようになると言われています。
現在のところ、セマンティックWebにおける主要な構成要素として想定されているのは、XML技術をベースにしたRDF (Resource Description Framework)とオントロジー言語OWL (Web Ontology Language) です。
RDFは、主語(Subject)と述語(Predicate)、そして述語の目的語(Object:Predicateの値)の3つにより、リソースの関係を表現します。
例えば、
マーケティングBlogは、ミツエーリンクスが更新している。
という文は、
<rdf:Statement>
<rdf:subject rdf:resource="#MarketingBlog"/>
<rdf:predicate rdf:resource="#Update"/>
<rdf:object rdf:resource="#Mitsue-Links"/>
</rdf:Statement>
という形で記述できます。
一方のオントロジー(Ontology)とは、元々はアリストテレス以来の「存在論」を指す哲学用語で、セマンティックWebにおいては語彙(=クラスまたは個物)と語彙の間の関係を表わすものとして使われます。
Webオントロジー言語OWLは、RDFによるリソースの叙述という基本ツールを用いて、Webに存在する物事の分類体系(クラス)と分類体系間の関係を推論するためのルールを定義する言語として、2004年2月にW3C勧告となっています。
こうしたセマンティックWebの実現に向けた動きは、ある意味、世界共通のデータベースを構築する発想に近いと思います。
それにともなう形で、Webサイトの設計に際しても、より一層データベース設計的なスキルが求められるようになってくるものと思われます。
以前(「データの正規化と情報設計」)にも書きましたが、すでにその兆候はあり、Blogツールの流行、RDFの応用であるRSS(RDF Site Summary)配信などで、Webサイトの情報設計のシーンでデータベース設計的なスキルが求められるケースは増えてきています。
一方で、セマンティックWebを人工知能や感性工学的な結びつける議論も存在しますが、それには大いに疑問を持ちます。
コンピュータがWeb上のテキスト情報の意味を理解して、自動に処理できることを目指すセマンティックWebの考え方と、感性工学的な「人の感性に関する分析を行うことで、人の好みにあったリコメンドを行うシステム」の実現を目指す考え方では、似ているようでまったく異なるものだからです。
前者が純粋にテキスト情報の意味の解析を行うのに対して、後者は人間の感性をテキスト(あるいは数値化されたデータ)として意味付けを行うという正反対とも言える方向性を持つものです。
これを同じ括りで語ること自体、2つの意味論をごっちゃにしてしまっていると指摘することができます。
哲学者であるヴィトゲンシュタインは、自身の著書『論理哲学論考』で示した、実世界(事実)と言語(像)は論理関係を共有するといった「意味の対象説(写像理論)」を、後期の著書『哲学探究』で否定して「意味の使用説(言語ゲーム)」を提示しました。
『哲学探究』においてヴィトゲンシュタインは、言語ゲームについて「規則に従う」とはどういうことなのかを吟味し、「規則に従う」ということは実践であり、人は規則に「私的に」従うことはできないという、反-私的言語論に至ります。
また、「意志することは行為すること自体でなくてはならない」という考えにたどり着き、規則が行為を規定するのではなくて、行為が規則である、という結論を導きました。
この言語ゲームという考え方、「行為が規則である」という考え方に基づけば、人の感性の分析によって、ルール付けられたシナリオに従い、「人の好みにあった(行為を)リコメンド」するという感性工学的考え方には無理があります。
リコメンドが成立するためには、「意味の対象説」が成立する必要があり、実際にそれはかなり限られた静的な環境下でなければ成り立たないでしょう。
一方で、セマンティックWebに関しては、すでに用いられている(行為が行われている)規則を意味論的に解析して、記述する技術になります。
こちらはあくまで「意味の使用説」に則ったものとして、実際にも使用に耐えうるものを生み出す技術となりうると思われます。
「部分の集合は全体にはならない」
最近、同僚とそんな話をしましたが、部分である要素をいくら集積したところで、意味の多様性があるため、最終的に結合された全体が意味あるものになるとは限りません。
また、仮に意味があるものになったとしても、その意味するもの自体が非常に多様化してしまう可能性があります。
言葉の意味は、文脈によって複数の解釈が可能です。
そして、この文脈こそが「意味の使用説」における、「行為が規則である」ということに値するものです。
言い換えれば、ユーザーの期待するものをいかに文脈として汲み取って、コンテンツ企画力・編集力を通じて、付加価値を感じてもらえるWebコミュニケーションを実現できるかが、セマンティックWebの実現とは別のもう1つの重要な課題であるということです。
ようするに、真の意味でユーザーが気に入るリコメンドを行う力を持つのは、ユーザーの好みの感性工学的な分析によるものではなく、よりクリエティブな感性による企画力・編集力でこそ実現できるのだといえます。
この話題の続きはまた次回。セマンティックWebの時代の企画力・編集力と題してお送りします。