このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2006年03月07日
スモールワールド・ネットワークとWebマーケティング
マーケティングユニット 棚橋
1960年代、アメリカの心理学者、スタンレー・ミルグラムは、人々をコミュニティに結びつける複雑な人間関係の構図を捉えようと、ある実験を行いました。遠方の知人宛の手紙を無作為に抽出した見ず知らずの人に送ったのです。
送った手紙の大半がちゃんと知人の元に届いたそうです。しかも、驚くほどの速さで。
ほとんどの手紙は投函されてから6回前後で届きました。実験の舞台は何億人もの人が住むアメリカです。その社会の中でランダムに投函した手紙がたったの6回前後で届くというのは、一見信じがたいものでしょう。
ミルグラムの発見はたちまち有名になり、「6次の隔たり(six degrees of separation)」という言葉で呼ばれるようになりました。
(ちなみにSNSのGREEは、この"degrees"を元に命名されたそうです。)
It's a small world !
思ったよりも世界は狭い。
こうした現象は、多くの人が暮らす人間の社会のみならず、生態系における捕食者-被捕食者の関係や神経ネットワークとしての脳、そして、インターネットなど、複雑な網構造をもつ、さまざまなものに見られるものだということが近年の研究によってわかっています。
■スモールワールド・ネットワーク
スモールワールド・ネットワークと呼ばれるネットワークの特性に関する研究が本格化したのは、コーネル大学の2人の数学者、ダンカン・ワッツとスティーブン・ストロガッツが1998年に発表した論文「『スモールワールド・ネットワーク』における集団力学」で、不思議なスモールワールド現象をはじめて数学的に説明したことがきっかけとなったそうです。
規則的なネットワーク内で暮らしていて、離れた2つの地点AとBのあいだを移動したいと考えているとしよう。残念ながらこの場合は、しんどくても1歩ずつ進んでいくしかない。結局のところ、規則的なネットワーク内のリンクは近い位置にある点どうしを結んでいるだけで、離れた2点間をつなぐ短絡路や架け橋はいっさい存在しない。けれども、ランダム・リンクを何本か入れてやると、このネットワークの性質は変化する。(中略)遠方へ旅をしなければならないとしても、今度は一種の長距離高速道路を利用して旅の苦労を取り除くことができるし、高速を下りたあとは、短い距離を何段階かたどれば正確な目的地に到着することができる。
マーク・ブキャナン『複雑な世界、単純な法則』より引用
上記の引用が、ダンカン・ワッツとスティーブン・ストロガッツが数学的に説明した、スモールワールド・ネットワークをつくるための方法を簡単に言い換えたものです。
わかりやすくするため、図にしてみましょう。
まず、左側は、小さな正方形をした4つのノードがクラスターを形成しながら全体がつながった規則正しいネットワークです。この場合、ある2点(青~緑)を結ぶ隔たり係数は13です。
一方でこのネットワークにランダムに2本新たなラインを入れてあげると、たちまち2点間の隔たり係数は5まで減ります。仮に別の2点をとっても左より右の図のほうが隔たり係数は相対的に小さくなっています。
これがはじめに紹介したミルグラムの実験の不思議な現象を解明するヒントです。
お互いが緊密につながったクラスターは人間社会でいえば、仲の良い友人や家族、会社の同僚などに相当します。クラスター同士は、クラスター内の関係より弱いつながりによって結ばれていたりします。
実はスモールワールド・ネットワークにおいて重要なリンクはクラスター間の緊密なつながりではなく、むしろ、年に1、2度連絡をとりあうかどうかというような関係の弱いつながりのほうです。この弱いつながりがネットワークを広げ(左の図)、さらに右図のランダムに追加されたラインに相当する弱いつながりうちでも特別なものが複雑な世界を狭くします。
■Webの直径
さて、ネットワークといえば、いうまでもなくインターネットもWebもネットワークです。
では、Webも同じようにスモールワールドなのでしょうか?
物理学者のアルバート=ラズロ・バラバシのグループが、Webの構造を調べて導き出したWebの直径=隔たり係数は約19だったそうです。つまり、どのWebページを起点にしても20回クリックすればすべてのWebページに辿り着くことができるということです(もちろん、最短距離を採用した場合)。
19という数字は人間社会の6という数字に比較すると随分大きいようにも感じられます。しかし、それでもバラバシのグループが調査を行った時点で何十億も存在したWebのネットワークをたったそれだけのクリック数ですべて閲覧可能だと思うと驚きです。また、19という数字は人間の感覚では多く感じられても、検索ロボットのようなクローラーであれば決して多い数ではありません。Webの世界がスモールワールド・ネットワークになっていることが、Googleなどの検索エンジンが機能することを可能にする1つの要因でもあるのでしょう。
しかし、Webのネットワーク構造は上図でみたようなネットワーク構造にはなっていません。先に引用した本の著者ブキャナンは、スモールワールド・ネットワークを構成するネットワークには2つのタイプがあるとしています。1つは先に見たような平等主義的ネットワークで、もう1つは貴族主義的ネットワークと呼ばれるものです(バラバシはスケールフリー・ネットワークと呼んでいます)。2つの特徴をあげると以下のようになります。
- 平等主義的ネットワーク
-
- 規則的にクラスター化されたネットワーク
- 各要素(ノード)はそれぞれ直近の要素とつながっている
- 上記のネットワークに対して全体の規則性を損なわない程度のランダムなつながりが加わる
- 貴族主義的ネットワーク
-
- ハブ(コネクター)を介した階層構造型のネットワーク
- 各要素は複数の要素からリンクされたハブ(となった要素)を中心にクラスター化されている
- 各要素の他とのリンク数を数えた場合、ネットワーク全体ではべき乗則のパターン(リンク数が増えると、そのリンク数をもつ要素の数がxのn乗分の1に減少する)が見られ、ごく少数の要素が非常に多くのリンクをもつ分布となる
2つのネットワークは見た目のイメージも、両者がもつ規則性も大きく異なっています。しかし、両者とも、その世界の複雑さに比較すれば驚くほど、ネットワークの直径=隔たり係数が低いスモールワールド・ネットワークの特徴を有する点では共通しているのです。
■ネットワーク科学とWebマーケティング
これまでマーケティングではセグメンテーションという考え方が重視されてきました。このセグメンテーションという考え方は、個々の要素としての個人の性質(好みやライフスタイル、家族構成や居住エリアなど)をベースにクラスター化を行い、その中で自社の商品、サービスにあったセグメントをターゲットとして選ぶことで、マーケティングを行ってきました。
セグメンテーションはクラスターを対象にしつつも、クラスター内のつながりやクラスター間のつながりに関しては不問にし、企業とセグメンテーションから導かれるターゲットの2点間に関係性を構築しようとする考え方でした。関係性マーケティングという言葉もありますが、この場合も基本的には企業と個々の顧客との関係性を考慮するだけで、先のセグメンテーション~ターゲティングと同様に、ネットワークという視点で関係性を考えるものではありませんでした。
しかし、グローバル化、インターネットというつながり、「CGM時代の情報の複製と創造性(後編)」のエントリーで図式化したBlogosphereやSNSなどでのWeb環境における人的つながりなどを考えた場合、個々の要素の性質だけに着目して、ネットワーク=社会の関係性に目を向けないのでは明らかに片手落ちになってしまうでしょう。これまでWeb2.0を考察するエントリーで見てきたように、現在の情報伝達の形は、ターゲット→検索エンジン→企業Webという単純なつながりを持つだけでなく、ターゲットと企業の間に他のユーザーの関与(Share)があることも多くなってきています。
人は企業から発信される情報だけではなく、マスコミからの情報、友人・知人からの情報にも常にさらされています。そして、よく言われるように、人は自分と近い人間からの情報をより信じる、参考にする傾向があります。口コミだとか、バイラル・マーケティングだとか呼ばれる現象が、CGMを介してユーザーが積極的に情報発信を行うようになったインターネット環境ではより頻繁にユーザーの耳に届くようになってきています。こうした点からもネットワーク科学の視点からマーケティングを考えることがより重要になってきているように思われるのです。
ウイルスやヒトの生物学に関してどんな知識をもっていても、それだけではエイズの流行に大きく影響するネットワークの働きについて、なんの手がかりも得られない。同じく、地球の生態系の安定性についても、生物を個別に研究しただけでは確かなことは言えない。さまざまな要素の性質を個別に把握しても、要素が集まったときどのような働きをするか、ヒントになるものはほとんど見えてこないのだ。
同上より引用
ネットワーク内の隔たり係数に目を向ければ、個々の性質のみに着目したセグメンテーションにより選んだターゲットが本当に自社との相性がよいかはわかりません。
もしかすると、性質としてはピッタリでもネットワーク内での隔たり係数が異常なほど高く、そのターゲットに到達するまでのコストが非常に高くなるか、最悪なら到達できない可能性もあるはずです。
- 群集心理は何故起きるのか?
- お金持ちほど裕福になるのは何故か?
- ロングテール現象はいかにして起きるのか?
- 口コミがうまく伝わるのは単純に商品の力か?
- 全社メールより社内の噂のほうが早く広まったりするのはどうしてか?
スモールワールド・ネットワークの特徴である、ハブとしてのコネクター、弱いつながりというショートカット、強いつながりをもつクラスターという面を、個々の要素をいったん無視して数学的にみることで、Webマーケティングの新しい側面が見えてくるのではないかと思います。
次回のエントリーでは「ハブとショートカットのネットワークにおける役割」と題して、この問題を考えてみたいと思います。
※参考文献:マーク・ブキャナン『複雑な世界、単純な法則』(草思社)