このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2006年04月07日
Webの信頼性
マーケティングユニット 棚橋
前回の「集合知の利用」というエントリーでは、ジェームズ・スロウィッキーの著書『「みんなの意見」は案外正しい』を参照しながら、Web2.0的ミームである「集合知の利用」について考えてみました。前回はあくまで集合知とはどういうものかというアウトラインにすこし触れるだけで終わりました。
スロウィッキーの著書『「みんなの意見」は案外正しい』や「集合知」に関するに関しては、幸いにも多くのブロガーの方が書評を書いていたり、それぞれ意見を述べたりしていますので、ぜひ検索していただいて「みんなの意見」を参考にしていただくと、当Blogでは扱いきれなかった情報も得られるのではないかと思います。
さて、今回は、そうした集合知の利用を考える意味でも避けて通れないであろう議論である「Web上の情報の信頼性」について考えてみたいと思います。
■Blogに対するネガティブな反応
集合知の利用という意味では、より多くの一般ユーザーが発言権をもち、Web上でのコミュニケーションに参加できるようになったという意味では、Blogの影響力は非常に大きいといえるのではないかと思います。
中にはマスコミなどから発信される記事と比べても遜色なく、内容も深く、有益な情報源として日々、活用できるBlogも無数に存在しています。しかし、全体としてはやはり玉石混交で「石」のほうにふるい分けられるものも数多く存在しますし、中にはコメントなどで2チャンネル的な罵詈雑言をユーザーの方もいらっしゃいます。また、Blogを中心にしたユーザーのコミュニティ内ではひとつの噂が非常に加熱しやすく、良い意味でも悪い意味でも極端な方向に流れやすいという傾向もあります。
しかし、そうした現状をもって短絡的に「Blogは未成熟」だとネガティブな判断をされるのは、あまりに時期尚早すぎますし、それ以上に現時点でBlogには情報価値がないと断を下してしまうのは、あまりに独断的すぎるのではないかとも感じます。
ネガティブな現状のみを取り上げるのではなく、同時にポジティブな面を見ることが必要ですし、ネガティブな現象が発生する要因をきちんと捉えた上でその要因を取り除くことができないかを考えることのほうがはるかに建設的ではないでしょうか。
■割れた窓理論
犯罪学分野で人間心理を扱う「割れた窓理論(あるいは、割れ窓理論)」というものがあります。
割れたまま修理されていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしないし、誰も責任をとっていないと思い、まもなく他の窓も割られることになり、その無法状態の雰囲気がたちまち辺りに伝染していき、犯罪の呼び水となるというものです。発案者は、犯罪学者のジェームズ・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングで、ウィルソンとケリングは、犯罪は無秩序の不可視的な帰結だと主張しています。
(参考:Wikipedia「割れた窓理論」)
「ネットワーク思考でWebマーケティングを考え直す(後編)」のエントリーでも紹介させていただいた『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』で提唱されている口コミ感染の3つの法則の1つである「背景の力」の一例として、著者のマルコム・グラッドウェルはこの「割れた窓理論」を援用することで、1980年代から犯罪数が増加し続けていたニューヨーク市で1994年以降に犯罪発生数が激減した例を紹介しています。
地下鉄で多発する犯罪を減らすためにニューヨーク市が行ったのは、地下鉄の落書きを徹底してなくすことでした。すでに落書きの描かれた車両の落書きを消すだけでなく、あらたに落書きがされてもすぐに消すということを繰り返すことで、ニューヨークの地下鉄から落書きが消えただけではなく、地下鉄犯罪も急激な減少をみせたそうです。
■では、「背景」とは何か?
同じことがBlogをはじめ、Webのネットワーク上で起こっているネガティブな現象にもいえるのではないかと思います。
Blogのコメントやトラックバックに関しても、適切でないものは頻繁に削除したりとメンテナンスを行っていると、ネガティブなコメント、トラックバック自体が減るといわれています。反対に2チャンネルのように罵詈雑言が当たり前の環境なら、割れた窓が犯罪の呼び水になるのと同じように、罵詈雑言が次の罵詈雑言を誘発するといったことが起こっているのではないかと考えられます。
公衆トイレなどでもきれいに清掃されたトイレは、そうでないトイレに比べてきれいに使われる傾向にあるのと同じことだったりするのではないでしょうか。
著名ブロガーとして話題に上ることも多いR30さんは、次のような意見を述べています。
一番気になるのはですね、送られてきたトラバを「情報」とも思わないそのデザイン思想なんですよ。そもそもトラバやコメント機能が何のために必要と言われてるのか、分かってますか?ただの「大手サイトに名前を乗せたがる目立ちたがりユーザーのガス抜き」みたいなもんだと思ってるでしょ?ぜんぜん違いますよ。トラバも貴重な「情報」なんですよ。本来はサイトの情報価値を高めるために、頭下げてでも送ってもらわないといけないようなもんなんですよ。
そもそも、Blogの運営者側がコメントやトラックバックを「価値のある情報」として扱わない態度が、価値あるコメントやトラックバックよりも、ネガティブなコメントやトラックバックを呼び込みやすいということはできるのではないでしょうか?
コメントやトラックバックが、ユーザーがパッと見でわかるビジュアルデザインのレベルで、明らかに本文に比べて冷遇されていると感じられるものであれば、清掃の行き届いていないトイレ同様、ユーザーがその場所をきれいに大切に使おうとは思ってくれないのも、むしろ、当然なのかもしれません。
■信頼性の問題と情報の価値
マーケティングにおいては、昔から「顧客志向」という言葉が口酸っぱく語られてきました。ユーザーの声を聞く、ユーザーを知るということもマーケティングの歴史の中で何度となく繰り返し表明されてきました。
しかしながら、R30さんが指摘しているような"送られてきたトラバを「情報」とも思わないそのデザイン思想"はまったくそうしたマーケティングの伝統に反したものです。
そして、Blogに対する極端な批判は、Blogを書いているユーザー自体やユーザーの発信する情報を低レベルだと論じたりします。
性格は、わたしたちが考えているもの、あるいはむしろ、そうであってほしいと願っているものとは違う。それは確固としたものでも、互いに密接に関連しあうわかりやすい一組の特徴でもなく、そのように見えるのはただ、人間の脳の組織的欠陥のなせるわざだということになる。
マルコム・グラッドウェル『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』より引用
グラッドウェルが書いているように、私たちは自分たちが思っている以上に周囲の環境の影響を受けやすい生物で、一般的に確固としたものと考えられている個々人の性格も意外にうつろいやすいのではないかと思います。
同じように、Blogでポジティブな情報を発信する人とネガティブな意見を書く人の間に確固とした境界が存在するわけではなく、同じ人がちょっとしたきっかけでどちらにも転んでしまうというのが本来的なのでしょう。
そして、そうしたユーザーがオフラインでは自社の顧客かもしれないことを企業は忘れているのではないでしょうか?
コメントやトラックバックをデザイン的に「情報」としての価値を認めた形で扱わず、自社の発信するBlog記事だけを価値あるものとして扱うようなデザイン思想は、ジェームズ・スロウィッキーが『「みんなの意見」は案外正しい』で書くような偏った「専門家崇拝」を示すものでしょう。そして、それはWeb2.0的「集合知の利用」とはまったくベクトルを異にするものでしょう。
■情報デザインに求められていること
むしろ、私たちに今求められているのは、BlogやWebの信頼性や情報の価値を問い直すことなのでしょう。それにはまず「情報」とは何かを再度、考えてみることが必要なはずです。情報技術を利用して、そこから生活やビジネスにメリットとなるものを得ようとしているのなら、半面、情報がもつリスクに対しても同じレベルで関心をもち、きちんと考えることは、ある意味、当然のはずです。しかし、私たちはこれまでIT革命だ、Web革命だといいながら、「情報とは何か」を本当の意味で真剣に考えてこなかったのではないかと思います。
本当の意味で私たちが「情報」に関する何らかの専門家としての価値を示すことができるとすれば、企業側の情報とユーザー側の情報に線引きをするような情報デザインを許容するようなことはあらためることで、整備の行き届いた快適なBlog環境を提供することで、Web上の情報の信頼性を高め、Blogから発信される情報の価値を高めることに貢献していくことではないかと思います。
さて、次回は、「見える化」と「集合知の利用」と題してお送りします。
※参考文献
- マルコム・グラッドウェル『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』(飛鳥新社)
- ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川書店)