このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2005年12月02日
クオリア降臨
マーケティングユニット 棚橋
脳科学者で、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーでもある茂木健一郎氏の著書『クオリア降臨』(文藝春秋刊)を読みました。
茂木氏は、心と脳の問題を探究している研究者だが、『クオリア降臨』で扱っているのは、「統計的な真理しか問題にしない現代科学からこぼれ落ちる広大な領域。個の生の主観的体験に寄り添う時に見えてくるもの。それこそが文学に固有の領域である」と一文にも代表されるように、クオリアという概念をキーとしてみた文学です。
クオリア(qualia)とは、最新の脳科学用語の1つで、私たちが日々の生活の中で感じる感覚を構成する「質感」をあらわす語なのだそうです。
ソニー製品のブランド名(QUALIA)にもなっていますが、これも茂木氏がソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーを務めているからなのでしょう。
参考:クオリア・マニフェスト
最初にクオリアという単語を用いたのは、オーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンで、1982年に発表した論文の中の「白黒の部屋の中のメアリー」という思考実験の中でクオリアという語を登場させているそうです。
メアリーは、生まれた時から白黒の部屋で1人で暮らし、白と黒以外の色は見たことがない(自分の肌や髪の色はどうかと疑問はあるが、ここでは問題にしない)。 メアリーは外の世界と情報回線でつながったコンピュータを通して、脳の中で色の認識が生み出されるメカニズムを完全に理解し、自分が色を見るということはどういうことかを理解していると確信している。 しかし、ある時、メアリーが住んでいた白黒の部屋が突然崩壊する。部屋の外は、色とりどりの花が咲くお花畑だった。その花を見て、メアリーははじめて「赤を見る」という体験がどんなものかを理解する。
このように、クオリアという視点ははじめから、世界を機能主義的にとらえる近代合理主義に対するアンチテーゼとして生まれたものであるそうで、茂木氏がこの本でクオリアの視点から文学を読んでいるのも自然なことのように感じました。
クオリアは僕たちの印象をつかさどっていると言えます。
脳という有限的な生に縛られた物質が無限をも想像しうる意識を生み出す根幹にはクオリアが存在すると茂木氏は述べています。
僕らは意識を通じてしか世界とつながりをもてません。
他人や世界とつながっているとかろうじて感じられるのは、意識やその創造物としての科学や文学が積み重ねてきた成果なのでしょう。
クオリアの私秘性と科学の公共性、再現性は遠く離れているように見えるが、その2つが脳科学を通して徐々に結びつき始めている点に、現代の知的な希望がある。
経験経済下の企業に求められる価値ある経験の提供を可能にする「科学技術による機能性/デザインや演出による情緒性」、「ベネフィットによる満足/経験を通じて得られる感動や夢」、「技術/芸術」といった相反するものの統合は、脳科学をはじめとする現代の科学や、インターネット、Blog時代の現在の文学に求められるものと非常に同時代性を持っているように感じられてなりません。
それも当然なのでしょう。
不確実なものに不安を感じる人間が不確実性を乗り越え、世界とのつながりを感じる手段である科学や文学の時代性が、現実に人々の日々の生活、社会の活動を支えている企業に向けられる人々の視線に無関係ではありえないのだから。
経験経済におけるマーケティング、ブランディングを考える際、こうした視点はとても重要なはずです。
科学の再現性は、大量生産の工業製品という成果を生み出しました。
いま新たに求められるのは、芸術的な力をビジネスに取り込むことで、1回性の経験をいかに価値あるものとして演出できるかではないでしょうか。
かつてスカンジナビア航空元CEOのヤン・カールソンは、「真実の瞬間(Moments Of Truth)」というキーワードで、顧客の満足度を左右する顧客接点(コンタクトポイント)を企業がいかに管理するかの重要性を示しました。
経験経済下では、このコンタクトポイントの管理に求められるレベルも、顧客に満足を与えるだけでなく、いかに顧客に感動を与える(それによって「もっと利用したい!」という気にさせる)という点にシフトしていくのでしょう。
こうした満足から感動への価値基準の変化を考える上では、茂木氏が『クオリア降臨』で取り上げている、もう1つの「真実の瞬間」を参照にすることで活路が開けるように思います。
次回は「もう1つの真実の瞬間」と題してお送りします。