このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2006年12月25日
ラベリングとブランド:ヒトの認知の性向
マーケティングユニット 棚橋
ヒトは意味を求める生き物だそうです。
この意味を追い求める欲求は、幼児期の鏡像段階と呼ばれる「他者の目を通して自分を見ることを学ぶ」段階を経てはじめて可能になる自己形成、そして、そのことによる内部から意識する自分と外側からの対象としての自分への分裂に由来するものだといわれています。
■僕とおまえ
フランスの精神分析学者ジャック・ラカンによると、鏡像段階を経る前の乳児には空想と現実の区別もなく、自己と周囲を区別する境界もないそうです。乳児は生後6カ月から18カ月のあいだに鏡像段階にはいり、そこで他者の目を通して自分という存在を学びます。
子供用の揺り椅子に寝ている子供が、「そのクマちゃん、僕の」と言うと、父親は「そうだね、おまえのクマちゃんだね」と答える。これはもちろん子供からすればおかしいことになる。もしクマちゃんが僕ので、お父さんもそうだというのなら、"おまえ"のであるはずがない。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』
子供がこの矛盾を解決する唯一の方法は話し手の位置を切り替えることです。言い換えるとそれは父親の視点から「おまえのクマちゃん」という言葉を考えることです。父親は「僕のクマちゃん」の所有者を"おまえ"と呼んでいることに気づくことです。自分が父親を見ているのと同じように、父親が見ている"おまえ"という存在があり、それが他でもない"僕"であるという鏡像的な関係に気づくことです。
そこではじめて子供はいままで自分の世界には存在しなかった"僕"="おまえ"という自分の目には見えない存在を、他者の目を通して見ることができるようになるのです。ヒトが存在しないものを言葉を通じて想像する力は、こうした鏡像段階での他者の目から自分を見ることによる自己形成をきっかけに獲得するものなのだそうです。
■表象、対象、解釈項
他者から見た自分と自分が意識している自分という外側と内側に分裂した自己は、"おまえ"や"僕"という呼び名によって結び付けられます。他人の目から見た対象としての自分がいて、その対象を他人は"おまえ"だとか"○○さん"だとかと呼びます。そして、"おまえ"だとか"○○さん"だとか、私たち自身はそれが自分のことだと内部で意識します。
こうした表象-対象-解釈項からなる関係を、プラグマティズムの祖として知られるチャールズ・S・パースは三項論理と呼び、自身の記号論における中心に据えました。
パースの記号論においては、記号と対象の関係は常に1対1の形で固定されたものではなく、解釈項によって都度、認識され関係付けられる記号過程の中で生成されるものとされます。
ほとんどの人が何の意味も見出さないような木に刻まれた傷をみて、狩猟に慣れたハンターであれば、それが鹿が残した痕跡であると知り、その傷から目の前には存在しない鹿の存在を理解することもあります。この場合、ハンターだけが木の傷という記号と鹿という対象を結びつけることが解釈項として記号過程の生成に関与するのです。
■ラベリング
Webサイトのナビゲーションの表記を考える際にも、このパースの三項関係を考慮する必要があるでしょう。ナビゲーションなどにつけられた名前をラベリング(ラベル)と呼びますが、このラベリングはいまだ目の前に提示されていない対象としてのドキュメント、コンテンツ、機能を表象する記号です。そして、それぞれのユーザーがナビゲーションにつけられたラベリングからリンク先の内容を想像し、解釈します。
「期待とエラー」というユーザビリティに関する国際規格の1つであるISO9241の「対話の7原則」を紹介しましたが、その原則の1つにも「利用者の期待への一致」という項目があげられています。ラベリングから利用者が期待するものと実際のコンテンツの内容が一致しているかはWebユーザビリティを考える上では重要な問題の1つです。また、それはナビゲーションのラベリングの問題だけでなく、検索エンジンでキーワード検索を行なった際の検索結果における表記内容やリスティング広告での表記から期待される内容と、実際のページ内容の一致という意味でも、ユーザビリティの指標としての有効さや満足度に関わってくる問題だといえるでしょう。
■ブランドに対する期待
同じように、ブランドを考える際にも、表象-対象-解釈項という三項関係による考察は有効です。
サンフランシスコのデザインファーム、Dubberly Design Officeがネットで公開している"A Model of Brand"というブランドに関するコンセプトマップがあります。私なりに概要を抜き出したものが下図になりますが、ビジュアル的にも美しい仕上がりなっていますので、詳細についてはぜひ原本をご確認ください。
ご覧いただくとおわかりになると思いますが、この"A Model of Brand"というモデルが下敷きにしているのもパースの三項論理です。ブランドを表象するブランド名やロゴなどのグラフィック要素、スポークスマンなどが、対象としての製品、サービス、コミュニケーションなどに接した際の経験を想像させ、愛着を感じさせるものとして解釈されるようになった際、ブランドは価値はもつようになります。
しかし、「期待とエラー」でも書かせていただいたように、当然ながらブランドは、ユーザーに期待をもってもらうという課題と同時に、期待に応えるという課題をもちます。期待を抱かせなければブランドとはいえませんし、期待に応えられなければブランドの価値は維持できません。
最初にも書きましたが、「ヒトは意味を求める生き物」です。その意味を求める欲求が企業の提供する製品やサービス、そのほか企業の行なう活動自体に向けられたものがブランドというものの基礎にあるものではないでしょうか?
顧客の期待、欲求を知り、それに応えていくというのは企業におけるマーケティングの永遠の課題だといえます。前回の「価値提供プロセス重視のブランド戦略」では、シックスシグマのフレームワークを用いて、自社のコアプロセスと主要顧客を定義し、顧客の要求を知るという、イメージ一辺倒のブランディングとは正反対ともいえる、事実重視、プロセス重視のブランド戦略について考えてみました。
自社のブランドをビジネスとしてデザインする際にも、そのブランドの価値を伝えるWebサイトのデザインを考える際にも、記号と対象の分裂とそれをつなぎとめる解釈=意味を重視するヒトとう生物の性向を踏まえたうえで、デザインを行なっていく必要があるのでしょう。そのためには事実重視の科学的手法を中心にするシックスシグマのフレームワークは非常に有効なものだと考えています。