このコーナーでは、企業でWebサイトの運営に携わっている方、マーケティング部門等でWebの活用法について考えておられる方向けに、Webマーケティングの実践のための手法やノウハウ、事例をご紹介していきます。市場に出回る書籍や雑誌では論じられることない、Webマーケティングの最前線に触れていただければと思います。
2006年05月26日
アトムとビットが錯綜する世界(におけるマーケティング)
マーケティングユニット 棚橋
前回の「Web2.0をすこし離れた場所から見る」では、Web2.0をITビジネスという限定的な視点だけから見るのではなく、時にはもうすこし視野を広げて、現在も進化し続けている情報社会という切り口から考えてみることを提案しました。
そうした提案を行った背景としては、あまりに近視眼的にWeb2.0という対象を見てしまうと、それがもつ本当の利点を逆に見失ってしまう可能性があると考えたことも1つの理由ですが、もう1つ別の理由もありました。
それはそもそも最近の傾向として、Webアプリケーションとインストール型のソフトウェアだったり、ハードウェアとソフトウェアだったり、プル型とプッシュ型のマーケティングだったり、あるいはもっと極端のことを言ってしまえばアトム(物質)とビット(情報)だったり、これまで確固とした境界が引かれ二律背反状態で分かれていたものの境界があいまいになってきているからです。
■錯綜する世界
この境界があいまいになっている現象として例をあげると、まず、わかりやすいところでは、Web2.0そのものが既存のオフィス系のソフトウェアを、Google Calendar、Zimbra、Writely、37signalsのBasecampやWriteboardなどの形で、Webブラウザ上で操作可能なWebアプリケーションに置き換えることで、これまでMicrosoft Officeの独壇場だった業界にも変化をうながしはじめています。
一方で、Webアプリケーションの攻勢を受けている側のMicrosoftのほうでも、一方ではThe Ultra-Mobile PCの販売をはじめるなど、これまでのソフトウェアの分野からハードウェアの分野に手を伸ばしていますし、AppleにいたってはiPod+iTunes(Music Store)により、ハードウェア、ソフトウェア、Webの垣根を完全にまたいだビジネス展開を行っています。
さらにAppleはつい先日、Nikeと組んで、Nikeのランニングシューズ「Nike+ Air Zoom Moire」と「iPod Nano」を接続することで、リアルタイムでのランニングデータの収集、ジョギングする人の進歩をチェックしたりすることができる新製品の発表を行っていたりします(いわゆるウェアラブル・コンピュータといってよいのでしょうね。参考記事:CNET Japan:ナイキがiPodとともに走り出す--ランニングシューズ「Nike+ Air Zoom Moire」発表)。
この場合、「Nike+ Air Zoom Moire」という商品は靴なのかコンピュータなのかはもはや明確に判別することはできないのではないでしょうか? そして、その時、Nikeという企業はスポーツ関連用品のブランドなのか、IT企業なのかといった区別も今までとは違った意味合いをもってくるのではないかと思います。
■宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない
さらに「総表現社会」でも紹介させていただいた、マサチューセッツ工科大学(MIT)のプロジェクト"ファブラボ"では、現在、Web2.0でマッシュアップといった形で行われているパーソナルなWebサービスの開発と同様のことが、アトム=物質レベルのパーソナルな生産-個々人が「ほぼあらゆる物をつくる」ことができるようにする-のための実践的な研究が進められていたりもします。
そのプロジェクトを推進しているリーダーでもあるニール・ガーシェンフェルドは、ファブラボのことを紹介した著書の中で、次のようなことを書いています。
宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない。原子も、分子も、バクテリアも、ビリヤードの球も、すべて情報を保存し、変換することができる。(中略)世界がコンピュータであるなら、コンピューティングの科学は、真の意味での科学の科学である。
ニール・ガーシェンフェルド『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』
この場合、「文字通りコンピュータにほかならない」という時の宇宙では、先のNikeのランニングシューズがそうであったように、(ほぼ)すべての製品がコンピュータであるような世界を想像することが可能です。
実際、RFIDやGPSなどのユビキタス・コンピューティングを実現するための技術は着々と進歩していますし、携帯電話、電話機、車(カーナビ)など、すでにネット接続されている機器も存在します。
iPodのようにそれそのものはネット接続機能をもたなくても、コンピュータを介してネット上の情報(コンテンツ)を取得することで、情報社会に暮らす私たちの生活を楽しませてくれるものもあります。
■バリューチェーンをどう再編成するか?
日本ではいまだに当たり前のように信じられている「IT企業」という存在も、「すべてがコンピュータ」となった世界ではまったく意味をなさなくなります。
自社の製品をコンピュータにした途端、AppleやMicrosoftが競合になりますし、さらにそのコンピュータでもある製品にインターネット経由で情報を取得できるようにとWebサービスを立ち上げた途端、GoogleやYahoo!が競合となるのです。
その際には、当然、AppleがiPod、iTunes、Mac、MacOSを自社で販売/提供し、音楽や映像のコンテンツだけは外部のものを使うというバリューチェンでの自社リソース/アウトソーシングの判断を行っているように、コンテンツ、Webサービス、ソフトウェア、ハードウェアといったバリューチェーンの階層から自社のビジネスをどう設計するかという問題を吟味することがマーケティング的な視点では非常に重要な問題となってくるでしょう。
繰り返しますが、その時には自社が○○メーカーであるということとIT企業であるということの差異は意味をなさなくなります。なにしろ情報社会なのですから、情報技術をもたない企業が市場で生き残ることがむずかしいのは、ある意味、当然のことなのでしょうから。
■アトムとビットが錯綜する情報社会でいかにマーケティングを行うか
Web2.0という枠を超えて、モバイルコンピューティングとインターネットが交差する地点における情報のインタラクション(相互作用)について考察した素晴らしい本、『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』の中で、著者のピーター・モービルは次のように書いています。
ウェブは、われわれがどう生きるか、いつ働くのか、どこへ行くのか、何を信じるのかを変化させてきた。そしてこれから起こる出来事は、まだそれどころじゃないのだ。(中略)それはアトムとビット、プッシュとプル、ソーシャルとセマンティック、精神と肉体との輝かしい錯綜関係であり、その中では何を見つけるかによって自分の未来の姿が変化していくのだ。
ピーター・モービル『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』
「これから起こる出来事は、まだそれどころじゃないのだ」という言葉は、『ウェブ進化論』の副題である「本当の大変化はこれから始まる」と重なります。
しかし、それはWeb2.0という限定された視点でみるよりも、もうすこし大きな視点で、ここまで書いてきたような情報技術の変化にともなう、市場環境あるいは私たちの暮らしの変化という視点で捉えたほうがはるかに生産的な議論が可能なような気がしています。
もちろん、それはWeb2.0の有効性をすこしも否定するものではありませんし、マーケティングにおいては全体を見渡す鳥瞰的視点と、細部に目をこらす虫瞰的視点を交互にもつことが必要なのは、昔から変わりありません。
重要なことは、Web2.0というバズワードがこれほどもてはやされるようになった背景には、Web技術がそれほどビジネスシーンや一般の人の生活においても有効なものと判断されるほど、向上してきたという確かな進歩があるということです。
そして、その進歩はアトムとビットあるいはメーカーとIT企業という区分をあいまいにさせる変化をもたらしはじめているということに、一刻もはやく気づくことではないでしょうか?
GoogleやYahoo!、Microsoft、Appleという企業はもはや特別な企業(IT企業)ではありません。
それは単にいちはやく情報社会において成功した企業の例でしかないのだと思います。
P.S.
などと、書いている間にも、海外からは本日付けでこんな提携のニュースが飛び込んできました。
バリューチェーンの再編は刻々と行われているようですね。